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朝日新聞国際版【アジア地区】
新春座談会
がんばろうニッポン、元気出そうニッポン人!
新春熱き言葉の場外ホームラン!
朝日新聞国際衛星版アジア地区共同企画 新春特別座談会
企画制作:朝日新聞インターナショナル 朝日新聞アジアリミテッド広告部
協力 株式会社D.T.C 日本航空
(座談会出席者略歴)
門田博光(かどた・ひろみつ)野球評論家
1948年(昭和23)山口県生まれ。奈良・天理高校からクラレ岡山を経て69年ドラフト2位で南海ホークス(現・福岡ソフトバンク)入団。2年目に打率3割、31本塁打、120打点で打点王獲得。以後、強打の外野手、パ・リーグの看板打者として活躍。79年2月のキャンプ練習中に、右アキレス腱断裂のため約3カ月の入院と約半年のリハビリを経験。9月の一軍復帰戦では鈴木啓二(近鉄)より、ホームランで再起を飾る。80年自己最多の41本塁打を放ち完全復活。81年7月には月間16本塁打の日本記録をマークし、44本塁打で初の本塁打王に。83年にも40本で2度目の本塁打王。87年8月26日の西武戦で史上24人目の2000本安打達成。40歳の88年には44本塁打、125打点で二冠王に輝き、MVPを獲得。89年オリックス移籍。91年ダイエー(88年南海が球団譲渡)に戻り、92年44歳で現役引退。2006年野球殿堂入り。通算ホームランは王貞治氏(現・福岡ソフトバンク監督)、野村克也氏(現・東北楽天監督)に次ぐ史上3位の567本。
後藤敏夫(ごとう としお) ワールドクリエィティブエデュケーショングループCEO)
1957年(昭和32)横浜市生まれ。90年香港にて起業。海外子女のための進学教室「オービットアカデミックセンター」にて東南アジアで国際教育を実践。2000年には海外学習カウンセラー「ワールドスクエア」を設立。シンガポールを拠点に周辺諸国の日本人生徒などに向けて英語圏での研修プログラムと海外への大学進学を推進している。
荒屋隆(あらや たかし)
テンプスタッフ(シンガポール)リミテッド 国際本部アジア地域開発室長
1959年(昭和34)埼玉県生まれ。建設機械メーカー海外営業部勤務を経て、93年にテンプスタッフへ入社。アジアの拠点作りのため94年に香港に赴任。グループ最初海外派遣員。シンガポール、タイ、上海、広州支店を開設。上海では、WTO加盟後にはじめて外国企業として、人材紹介営業許可書を取得することに成功。2001年より、シンガポールがアジア統括本部となり、アジア事業統括本部本部長を経て、本社国際本部アジア開発室長になる。
(司会進行)
林家竹丸(はやしや たけまる)落語家
1965年(昭和40)兵庫県生まれ。95年8月に四代目林家染丸に入門。入門前の6年間、NHK記者として徳島、大阪でニュース取材に携わった異色の経歴を持つ。大阪のほか、東京、徳島でも落語会を開催し、ファンの層を広げている。執筆活動にも意欲的で、朝日新聞(徳島版)などにコラムを連載。旧弊にとらわれず、落語の価値を高めて市場の拡大を目指す。
プロ10年目で「アキレス腱断裂」という選手生命にかかわるピンチにさらされながら、人知れぬ努力で短期間に復活。翌シーズンには、自己最高の41本塁打を記録した元南海ホークスの門田博光氏。40歳で44本塁打を記録するという前人未到の偉業を成し遂げた往年のホームラン王が、アジア各地で頑張る日本人に熱いメッセージを贈ってくれた。年齢を忘れ、目標に向かってひたすら前進してきた男のみが語れる言葉の数々、とくとご堪能あれ。(司会進行 林家竹丸)
海外という大きな舞台ででっかいホームランを!
目標掲げて、常に戦う体勢を!
林家竹丸 まずは、このたびの野球殿堂入り、おめでとうございます。
門田博光 ありがとうございます。
竹丸 米国では、昨年もイチロー選手をはじめ日本人メジャーリーガーの活躍が目立ちました。門田さんは彼らの活躍をどうご覧になられましたか?
門田 マリナーズに移籍した城島選手の活躍がうれしかったですね。本場のメジャーリーガーにひけを取らない体格もあるし、1年目から結果を出せたのは、日本人選手の技術レベルがメジャーに少しずつ近づいていることを実感させてくれた。また最近は、野球がサッカー人気に押されていますが、初の国別対抗戦のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本が優勝したことは、野球人気の復活を促す大きな力になったと思います。
荒屋隆 わたしは海外で12年間、人材紹介・派遣業に携わっておりますが、現地に進出する日系企業を見ていると、従来の年功序列ではなく、実力主義、責任主義で現地人材を抜擢する企業も増えてきました。その意味で、野球の世界と非常に似てきたのではないかと思います。実力次第で、年俸が上がったり下がったりするんですね。
竹丸 いま、日本の球界ではフリーエージェント(FA)が常識となっていますが、門田さんが現役の時代は、ひとつの球団に骨を埋めるのが当たり前でしたね。
門田 そういう時代でした。生え抜きを重視する傾向がありましたからね。昔から野球ファンは、会社に例えれば巨人・阪神は大企業、パリーグの球団は中小企業というような見方をする。選手なら誰でも「大企業に移りたい」と思いますよ。いまはFA宣言すれば、どこにでも行けますから、いい時代になったと思います。
後藤敏夫 わたしは香港・シンガポールで18年、日本人駐在員子女の教育にかかわってきましたが、海外に住む日本人の意識はここ数年、大きく変わったなと感じます。
駐在する日本人の数が多くなって、現地日本人社会の「日本化」が進んでいます。日本と変わらない生活になって、逆に長く現地に住んでいる子が日本にあこがれ、「日本に戻りたい」と思うようになった。昔は、現地に溶け込んで、日本人離れした個性を輝かせている子どもが多かったのですが、最近の海外子女は「右にならえ」式の日本人になっちゃって、なんとなく元気がないですね。イチロー選手のように、ダメもとで海外で頑張ってみようというチャレンジ精神を見ると、素晴らしいと思うんですが。
荒屋 門田さんは40歳を過ぎてからもホームラン王になられた華々しい経歴の持ち主ですが、「2007年問題」といわれるように、今年は多くの団塊世代の方々が一斉に退職する年となります。こうした中高年の方々が、引退後も「華」を持ち続けるためのポイントは何だと思いますか?
門田 年齢というのは周りが騒ぐことであって、自分が年齢にとらわれる必要はないと思います。自分がまだ達成していない夢や目標をひたすら思い続けて、戦う体勢を保ち続けなければならない。退職したからといって枯れてしまうのでなく、もっと大きくてきれいな花を咲かせてやろう、そのためには、どんな肥料がいるのだろう、ということを考えればいいのではないでしょうか。僕は野球の世界しかわからないけれど、どの世界にも共通することだと思います。
荒屋 同感ですね。中国に進出している日系の工場からは、60歳でも70歳でもいいから、年齢にかかわらず経験のあるエンジニアの方をどんどん派遣してくださいというリクエストが非常に多いんです。
後藤 最近の日本人は「横並び意識」が強いと思うのですが、これも大きな問題なんじゃないでしょうか。日本はもう、みんなが一緒に頑張れば、共に豊かになれるような「右肩上がり」の時代じゃありません。中国やインドと同じモノを作ったって到底太刀打ちできないわけですから。 そこで40代にしてホームラン王になった門田さんの素晴らしさが再認識されるわけです。米国のように、ただホームランの数を打てばいいというものじゃない。門田さんの快挙には、日本の一味違う素晴らしさ、「メイド・イン・ジャパン」の素晴らしさが集約されているし、それを誇りにして戦うべきじゃないでしょうか。
精神的にひ弱な最近の子どもたち
門田 ひとつ心配なのは若い世代の変化ですね。わたしたちが子どものころは、親や学校の教育が非常に厳しかった。でも今の若い人たちは、厳しさに耐えられないところがある。われわれは、定年を過ぎても「まだまだ頑張ろう」と思うけど、より若い世代の人たちが年齢を重ねたときに、同じような意欲を出せるのだろうかと思います。
後藤 最近、躁うつ病やノイローゼといった「心の病」に苦しむ人が増えていますね。わたしたちが20代のころは、そんなにいなかった。仕事や生活におけるプレッシャーが昔よりも強いのかもしれませんが、門田さんの言うように、厳しさに耐えられない「弱さ」も原因なのかもしれません。
門田 われわれの幼少期は子だくさんの時代でしたから、競争相手も多くて、少々のことでは天下を取れなかった。そういう時代を生きてきたからこそ、年を取っても頑張れるんじゃないでしょうか。
後藤 わたしたちのように、家族で食事をするとき、大皿に盛り付けたものを家族全員で食べた世代は、兄弟間でも箸を争ったものですが、いまの30代半ば以下の人は、一人ひとりの皿におかずを取り分けて食べる世代ですからね。核家族化の象徴ともいえますが、これが競争意識を衰えさせたことは否めないと思います。
門田 最近の子どもには、たとえ家族でも、自分の皿には箸をつけてほしくないという気持ちがあるようです。それでおかずが別々になってしまうんでしょうね。「お父さんの箸がついたおかずは食べられない」なんてことを言うわけです。
後藤 わたしたちの時代だったら、そんなことを言えば親父に怒鳴られたものですがね。
門田 そうそう。縦社会がしっかりしていたからこそ、子どももしっかりと育って、少々の困難にはへこたれなくなったわけですが、いまはそれがないから、立ち上がることのできない人が多いんだと思いますよ。怒られるとすぐへこんでしまう若い世代の人たちを見ると、寂しくなります。
荒屋 われわれ人材業界では、「これからは『ホワイトカラー』ではなく、『ゴールドカラー』の時代だ」と言っています。ゴールドカラーというのは、普遍性の高い専門能力やマネジメント能力、実績があり、リーダーシップを発揮できる人のこと。野球でいえばイチロー選手のような存在ですね。
そういう、いい意味で「異端児」のような人が組織に2、3人いると、組織は活性化すると思うんです。イチロー選手のような人材が企業の中でも活躍する時代をつくらないと、日本の産業や国そのものが滅びてしまうのではないかと危機を感じます。
ケガから復帰、不惑のホームラン王へ
後藤 31歳でアキレス腱断裂に見舞われたとき、選手生活をあきらめずに、なぜ思いとどまって頑張ろうと思われたのですか?
門田 入院した当初は頭が真っ白になりました。でも、1週間も過ぎると冷静になって、「待てよ、ウチの選手の中にも、かつて致命的なけがをしたのに、いまでも頑張っている選手がいるじゃないか」と思ったんです。当時の南海にいた元メジャーリーガーでした。
それで「大けがをしても、これで終わりじゃないんだ。復帰できるんだ」と自分が励まされ、「どうすれば復帰できるんだ? まずは走ることから始めてみるか」と、だんだん気持ちが前向きになっていったんです。
けがの翌シーズンに復帰したら、ホームランを40本打てて、「あ、これはまだまだ行けるぞ」と思いましたね。「第2の野球人生」が始まったんです。
竹丸 ホームランにこだわったからこそ、厳しいトレーニングやリハビリにも耐え抜いてこられたのだと思いますが、門田さんがホームランに魅かれる理由は何でしょう?
門田 当時のパリーグはあまり観客が入らなかったのですが、それでも3000人入れば6000の目がある。ホームランを打てば、その視線がすべて僕の体に突き刺さるわけです。まさに最高の気分ですよ。試合に負けようが、Bクラスにいようが、ホームランバッターには注目が集まる。ヒットなんて、走って帰ってくるのがしんどいですからね(笑)。
後藤 ホームランは、まさに「華」ですよね。
荒屋 ビジネスマンも中高年に差し掛かると、健康管理が大きな関心事となります。40歳でホームラン王に輝いた門田さん流の健康管理術とは?
門田 現役時代は「戦うためには8時間以上寝なければならない」というのが基本でしたね。そのためには食事をしっかり摂ること。きちんと寝て、きちんと食事をすれば、体内の血液や水の循環がよくなって、健康な体を維持できますから。
南海ホークス、そして野村監督
竹丸 門田さんは、数多くの監督のもとで活躍されましたが、印象に残っている方は?
門田 南海入団時からお世話になった野村克也監督(当時、現・東北楽天監督)にはよく怒られました(笑)。野村さんは三冠王を取られた方ですから、自分の野球理論はすべて正しいという言い方をするわけです。ところが僕はまだ若くて、ちょっと生意気に口答えしたものですから「屁理屈を言うな」と怒鳴られて(笑)。僕自身、異端児そのものでしたね。
当時、僕が三番で、野村監督が四番(注・監督と選手を兼任)でしたが、監督は「お前は塁に出るだけでいい。打点を稼ぐのは俺の仕事だ。ランナーは絶対に帰すな」といわれたものです。でも僕も打者ですから、打点を上げて主役になりたい。おかげでよくケンカしました(笑)。選手みんなが「われこそは!」と主役を争った時代だから、当時の南海は強かったんですよ。個性的な「異端児」が集まっていましたから。
荒屋 いまの会社は、コンプライアンス重視の弊害もあるのでしょうが、社員がみんな萎縮してしまって、個性や創造力を発揮できる余地がほとんどありません。欧米や中国の企業は、日本ほど押さえ付けが厳しくないので、個性のある人材や異端児が育ちやすい。
門田 個性のある人材を育てるには、夢をあきらめない心を養わせることが大切ではないでしょうか。大人になると、どうしても上の人間や周囲に丸め込まれて、夢をあきらめてしまいがちですが、なんでもかんでも他人が正しいと思ったら駄目ですよね。他人が何と言おうと、我流でも何でもいいから、夢に近づくために自分を向上させる努力を怠らないこと。三冠王を取った人だからと言って、その理論がすべて正しいわけじゃありません。
野球離れへの提言
竹丸 海外在住の日本人の子どももそうらしいのですが、子どもの野球離れはかなり進んでいます。野球人気を取り戻すには、何が必要だと思いますか?
門田 ひとつには指導者の問題があると思いますね。いまの少年野球の指導者は、野球しか教えない。9人の力が集まれば大きなことができるというチームワークの素晴らしさや、コミュニケーションの素晴らしさ、プレイの背景にある大事な本質をもっと教えるべきじゃないでしょうか。
それと、いまの子どもたちに言いたいのは、たとえチームの中で補欠でも、決していじけたり、あきらめたりしてはいけない、ということ。「10年後を見ていろ。プロになってガンガン活躍してやる」という強い気持ちと理想を持って、粘り強く頑張ってほしい。
僕だって、学生やアマチュアの時代はホームランなんて打てなかったけど、プロになって500本以上打つことができた。今の子どもは、結果を求めるのが早すぎます。
竹丸 最後になりますが、海外で活躍している日本の皆さんに、ひと言メッセージをお願いします。
門田 ひたすら目標を持ち続け、戦う体勢を保ち続けてほしいですね。中高年になったからといって、向上心を失うのは寂しいし、もったいない。せっかく海外という大きな舞台で活躍しておられるのだから、「もう1本、でっかいホームランを打ってやる」という気持ちで頑張ってほしいですね。
竹丸 門田さんらしい、元気が出る応援メッセージですね。ありがとうございました。
(終わり)
門田博光氏著
『門田博光の本塁打一閃』
―ホームランに魅せられた男―「門田博光の本塁打一閃」
「ひたすら」にこだわった男のきらり輝く野球人生・・・・
1m70pの短身で、人より長いバットを握り、昼となく夜となく振って振って振り抜いて、人が打てない“鉛の球“を相手にホームランを打つことにこだわり続けた打者生活23年。
昨秋、病に倒れ、病院のベッドで長かった野球生活を振り返った。自分のバッティング人生をなんらかの形でまとめたい。引退後、誰かを教え、指導する機会はなかったが、“門田博光の世界“を残しておきたい。そんな使命にも似た思いが胸にこみ上げる。そして今年野球殿堂入りを機に、自らの野球への、バッティングへの思いを静かに綴った。球界の団塊ヒーロー、初の自伝的エッセイ。
門田博光著 定価1890円(税込)/四六判
発売 11月下旬

1948年2月26日生まれ
外野手・指名打者、左投げ左打ち。
1970年、天理高−クラレ岡山からドラフト2位で南海に入団。
翌年三番に抜擢され、この年打率.300、31本塁打、120打点を記録して打点王を獲得。79年2月の大方キャンプ中に右足アキレス腱を断裂する大ケガに見舞われたが、翌年には41本塁打を打って見事に復活をとげた。40歳となった88年には初めて全試合に出場、打率.311、44本塁打、125打点で2冠を獲得し、史上最年長のMVPに選ばれた。89年、オリックスに移籍。91年には福岡ダイエーに移り、92年現役を引退した。実働23年。通算成績は2571試合、8868打数2566安打、1678打点、567本塁打(歴代3位)打率.289。本塁打王3回、打点王2回、最高出塁率3回。88年、最優秀選手、正力賞。2006年野球殿堂入り。
門田博光氏 直筆サイン復刻版ユニフォーム(100枚限定完全受注生産)
ユニフォーム:1988年南海ホークスホームモデル復刻版【クボタスラッガー製】
付属品:保証書、サイン執筆時の写真、専用化粧箱、現役時代のフォト&フォトファイル
予価:94,500円(本体:90,000円)
一般受注は12月12日(火)より開始致します。詳しくは、週刊ベースボール12月6日発売号をご覧ください。
http://www.sportsclick.jp/sportscard/memorabilia/baseball/index10.html |